moiのブログ 日々のカフェ season3

東京・吉祥寺の北欧カフェ「moi」の店主によるブログです。基本情報は【about】をご覧ください。

29.08.2018-31.08.2018

◎29.08.2018

 すっかり宿題(日記)をためこんでしまった。

 宿題といえば、子供のころはいつもきまって8月31日に泣きながら、深夜までかかって片づけたものである。〝体罰フリー〟なあの時代、宿題をやらずに始業式に出るというのは、指を詰めさせられても仕方ないくらいの覚悟を必要とした。いまは、宿題を出さなくてもたいして叱られることもないと聞いたのだがほんとうだろうか? それに、だいたい新学期じたい最近では9月1日にスタートすると決まっているわけではないらしい。おなじエリアでも、学校によっては8月の最終週から始まったり、9月から始まったりとバラバラなのだとか。

 そんなに長く生きたつもりもないが、それでも「宿題は8月31日の深夜に泣きながらやるもの」という「あるあるネタ」がもはや通じない世の中になっている。

 

◎30.08.2018

 つい先日のこと、赤坂の迎賓館で藤田嗣治の絵を観てきた。もともとは、昭和10(1935)年に当時銀座にあった洋菓子店「コロンバン」の天井画として制作されたものだが、戦後その6点すべてがここ迎賓館に寄贈された。じつはここしばらく、ぼくはとある関心から戦前の「銀座コロンバン」についてずっと調べている。その関係で、どうしてもこの一連の藤田の天井画をいちどこの目で見ておきたかったのである。

 6枚の絵にはそれぞれ、リンゴの樹、オリーブ、樫の木、ポプラの木、葡萄、それに柳がロココ調の淡い色彩で描かれ、四季の移ろいや田園風景とともに母子や恋人たちの様子が優雅な筆致で表現されている。そのボンボンのような甘美さは、本場のフランス菓子にこだわった「コロンバン」の店内を彩るにふさわしい。以前見た古い写真では、これらの作品は天井画といっても客席の真上にではなく、客席の両サイドに3枚ずつ窓の上に角度をつけて飾り付けられていた。パノラマではないものの、どの作品もおなじように絵の上1/3ほどが絹糸のような雲がたなびく水色の空になっているのは、目の端にはいったとき、空が頭上に広がっているような視覚的効果をあたえるのを狙ってのことだろう。

 藤田は、この作品を描き上げる2年前の昭和8(1933)年、いったんパリでの生活を切り上げ帰国している。帰途、藤田はブラジル、アルゼンチン、ペルーといった南米各地に立ち寄りそこで多くの刺激を受けているが、なかでも強い印象を受けたのはメキシコの壁画運動だった。藤田によれば、当時メキシコでは国がベテラン、新人にかかわらず巨大な壁画の制作を画家に依頼し、国民が知らず知らずのうちに芸術に触れるような機会を生み出していたのだった。いわゆる「パブリック・アート」である。

 帰国した藤田は、経済的理由もあるが、なにより「不調和不整理の見本」ともいうべき東京に美意識を根づかせるべくパブリック・アートとしての壁画を熱心に制作するようになる。そして、昭和9(1934)年のブラジル珈琲宣伝販売所(銀座・聖書館ビル)を皮切りに、日本各地の百貨店や小売店を舞台に巨大な壁画作品を発表してゆく。コロンバンの天井画もまた、そうした一連の流れのなかで制作されたものである。

 コロンバンとしても、ちょうどこの昭和10年はひとつの「節目」にあたる年だった。当時、銀座にあった店舗ふたつのうちひとつを閉め、銀座6丁目の角(現在アバクロがあるところ)の本店にすべてを集約することにしたのである。ついては、よりお菓子は本格的に、客席は豪奢にする必要があり、オーナー門倉國輝とも親しかった藤田嗣治に6点の天井画の制作を依頼したのだった。藤田としても、知らず知らずのうちに客が目にすることになるカフェの天井画の制作依頼は、パブリック・アートという点においても願ったり叶ったりだったろう。

 戦前の一時期、多くの芸術家や実業家たちがこの絵の下でコーヒーを飲み、お菓子を楽しんでいたと思うと、もうそれだけで時代のざわめきが聞こえてくるようにさえ感じられるのだった。

 

◎31.08.2018

 お店を開けて、その日最初のお客様が感じのいいひとだと、その日1日とてもよい日になりそうで気分よいスタートが切れる。きょうがまさにそんな日だった。なので、開店間もない時間に足を運んでくださるお客様は、ぜひ通常の2割増しくらいの笑顔でお越し願えればと思います。

 そして9月8日(土)のアアルトコーヒー庄野さんとのイベント「ミステリと、アアルトコーヒー」お席が半分ちょっと埋まってきました。お早めに。ミステリとか知らなくてもぜんぜん楽しめるイベントになると思いますのでぜひ。すでにお申し込みのお客様からは、庄野さんと岩間がふたりで喋っているところを眺めるのが楽しみという声も

いただいております。まあ、たしかにレアな光景にはちがいない。ご希望なら一緒に記念写真も撮りますよ。笑

【9/8イベント】ミステリと、アアルトコーヒー

 読書の秋到来を前に、アアルトコーヒーの庄野雄治さんを徳島よりお迎えしてイベント「ミステリと、アアルトコーヒー」を開催いたします。

 知るひとぞ知るミステリ愛好家である庄野さんに「わたしの3冊」をセレクト、ご紹介いただくほか、「ミステリと、ホニャララ」と題して「コーヒー」「北欧」といったキーワードから庄野さんのおすすめのミステリを披露していただく予定です。

 庄野さんは都内各所で「コーヒー教室」などさまざまなイベントに参加されていますが、これまで庄野さんとぼくとでプライベートでかわしてきた本の話を今回はじめてイベントとしてみなさんとシェアしようというのがこの「ミステリと、アアルトコーヒー」です。

 ミステリ好きも、これからミステリの扉を叩きたいというひとも、敷居の低〜いイベントですのでふるってご参加ください! なお、当日はアアルトコーヒー庄野さんに淹れていただくコーヒーとシナモンロールがつきます。

 

【イベント】ミステリと、コーヒー

日 時 2018年9月8日(土) 18時30分より(18時開場)

会 場 カフェモイ(吉祥寺)

出 演 庄野雄治(アアルトコーヒー) ききて:岩間洋介(moi)

参加費 2,000円(庄野さんの淹れるコーヒー&シナモンロールつき)

申し込み方法

メールにお名前、お電話番号、人数の記入の上、下記アドレスまでお願いいたします。なお、件名は「ミステリ」としてください。こちらからの返信をもって受付完了といたします。アドレス cafemoimoi★ybb.ne.jp ★を@に変換の上送信してください。

 

みなさまのご参加お待ちしております。。

26.08.2018-28.08.2018

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◎26.08.2018

 8月最後の日曜日らしい。いかにも、この夏の総決算といった感じでとても静か。

 そんなかスタッフの友人が来てくれたのだが、ときどきそういう人と出くわすことのある、献血が趣味だという男子。「献血男子」。ちなみに、そのスタッフの妹も「献血女子」らしい。ちなみにそのスタッフもぼくも献血は未経験で、「採血のときにはつねに目を逸らす」派。献血好きなひとに言わせると、アイスクリームがもらえる、献血ルームのスタッフの人たちがやさしいなど、献血のメリットはいろいろあるらしいのだが、正直「献血」に恐怖心のある人間にはいまひとつ刺さらない。いいよ、アイスは自分で買うからとか思っちゃう。そういうひと、案外多いのではないか。献血人口を増やすにはではどうしたらよいだろう? 

 たとえば、こんなのはどうか。献血したら、「社会貢献」として会社が半日休暇をくれる。プレミアム献血フライデー。

 

◎27.08.2018

 髪を切るために少し早仕舞いさせていただく。お休み(火曜定休)がかぶっているので、こうでもしないことには伸びた髪の毛すら切れないのである。お客様から「楽しんできてください!」と言われたのだが、なにか勘違いしていないか?(なにか=フィロソフィーのダンスのリリイベ)

 原宿で髪を切っていたら、あまり経験のないような猛烈な雷雨に見舞われる。10秒も間をおかずにドカンドカン、しかもけっこう至近距離に落雷する。電車も当然遅れていたが、無事に家まで辿りついたのが奇跡のよう。とりあえずヘソも無事。

 

◎28.08.2018

 この夏は、ほぼ仕事と仕事についてかんがえることしかしていなかったのだが、きょうはすごく楽しかったし充実した休日だったので、ようやく最後の最後に「夏のおもいで'2018」を手に入れた感じである。

25.08.2018

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 最高気温の予想図をみたら、関東地方一帯がオレンジ色でも赤色でもなく、紫色になっている。これ、黒くなったらすなわち「死」を意味するのだろう。つまり、きょうの気温は「死」の一歩手前ということ。サバイバルだよ、人生は。

 

 ところで、近々イベントをふたつ予定しています。日程のご確認お願いいたします。

★9月8日(土)18時30分より

徳島よりアアルトコーヒーの庄野雄治さんをお迎えします。「内容未定」ですが、庄野さんの好きなミステリ小説について語り倒してもらおうというモイならではの企画を予定。

★9月15日(土)18時30分より

北欧関連の著書も多いライターの萩原健太郎さんをお迎えします。こちらは、「公開取材」という初の試み。フィンランドのカルチャーについて、萩原さんがインタビューし岩間が答えるという構成になるらしいのですが……。全体的には、カジュアルな北欧談義という感じになりそうです。

 参加受付はあらためてご案内させていただきますので、取り急ぎ日程のみ押さえちゃってください!

 

 なお、8月27日(月)は都合により17時30分にて閉店させていただきます。ご不便をおかけいたしますがよろしくお願いいたします。

22.08.2018-24.08.2018

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◎22.08.2018

 平成最後の夏が、しぶとい。

 今年もまた、エアコンの効いた部屋でゴロゴロしながらわけのわからないアメリカのB級映画テレビ東京の「2時のロードショー」で観るとか、視聴者のみなさんから寄せられた心霊写真特集(集合写真で手や足が写っていないのはそんなに心配は要らない)をワイドショーで観るとか、そういった「夏らしいこと」をなにひとつしないままに終わるのだろうなあ。他に「夏らしいこと」が思い浮かばない。せつない。

 夕方、リハ前のチェロしおりさんご来店。スタジオに差し入れるはずのおやつから、カヌレを1個ぶんどる。セボン。

 

◎23.08.2018

 強いて言えば、「じょんご様」の信者である。

 ご存知のない方のために書いておくと、「じょんご様」とは秋田県男鹿半島一帯に古くから伝わる土着の神さま…… などではなく、ジャズサンバを演奏するブラジル・サンパウロ出身のピアノトリオのことなのだが、なぜか荻窪に店があったころから不思議と彼らのCDをかけるとお客様がやってくるのである。以来、ぼくはジョンゴ・トリオを「じょんご様」と崇め、苦しいときの神頼みならぬ苦しいときのジョンゴ・トリオ頼みでピンチを切り抜けているというわけである。そして、今日も今日とてCDをジョンゴ・トリオに替えたとたん、それまで小一時間ちかく客足が途絶えていたにもかかわらず3組続いてやってきた。

 谷保のウィルカフェの来栖さんより、盛岡みやげのコーヒー豆をいただく。「六月の鹿」という風変わりな名前をもつ珈琲屋さん。どこかなつかしい、正しい喫茶店のコーヒーの味がした。それにしてもなんで「鹿」なんだろう? そしてなんで「六月」なんだろう? きっと、お店の人は日に8回はお客さんから店の名前の由来を訊かれてるんだろうなあ。ぼくの予想では、もしかしてオーナーの名前に関係あるんじゃない? 「鹿内潤」とか。(ちがうな)

 

◎24.08.2018

 信号待ち。強い日差しにジリジリ焼かれながら、さすがのオレも今年ばかりはこの凶暴な夏のおかげで日焼けしたにちがいないと、二の腕の裏っ側にふと目をやる。思わず横断歩道で声が出た。白っ!!!

 むかしはたらいていた会社には、その会社が運営にかかわっているカフェがあったのだが、今年とおなじように殺人的な暑さだったある夏の日のこと、エレベーターでそのカフェのマネージャーと乗り合わせた。「こう毎日暑いとさぞかし売上もいいんでしょうね」というぼくの言葉に、彼は首を振ってこう言うのだった。「ひとは、最高気温が30℃くらいのときアイスコーヒーやアイスティーを飲みたくなるんだよ」。なるほど。「そして、32、33℃になると炭酸系を欲するようになる」。ふむふむ。なんかわかる。じゃあ、体温くらいの暑さだと? 「なにも飲まなくなる」。

 あれは本当だったと、この夏、あの日の会話をくりかえし思い出している。

21.08.2018

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 来年の日本フィンランド修好100周年にむけて、全国でさまざまなフィンランド関連イベントがおこなわれている。なかでも、個人的に「目玉」として楽しみにしていたのが、いま目黒区美術館で開催されている『フィンランド陶芸 芸術家たちのユートピア | 目黒区美術館』である(9月6日まで)。

 これまでにも、フィンランドのデザインやデザイナーに特化した展示はたくさんあったが、「陶芸」にスポットをあてたものはめずらしい。しかし、じっさいに足を運んでみると、まず現地に行かないことには見られないようなすぐれた作品が集結しているし、またそうした作品のかたち、色、質感といったものは、やはり実物を見てこそはじめて伝わるものである。こういう「地味イイ企画」というのは、やはりなんとしても観ておくべきだと思う。すくなくとも、ぼくはほんとうに観てよかった。

 

以下は、メモのつもりで印象に残ったことを箇条書きにしておく。

 

ーー スパーレとフィンチ〜ふたりの外国人

 アラビア製陶所につらなるフィンランド陶芸の歴史を遡ってゆくと、そこでふたりのキーパーソンに遭遇する。ひとりは、スウェーデン人ルイス・スパーレであり、もうひとりはイギリス系ベルギー人のアルフレッド・ウィリアム・フィンチである。

 スパーレは、留学先のパリのアカデミー・ジュリアンで後にフィンランドの国民的画家となるアクセリ・ガッレン=カッレラと出会い、意気投合する。ふたりはフィンランドのカレリア地方を旅し、現地の人びとと交流し、またその素朴な手仕事に触れるなかでフィンランドの芸術的資源の豊かさを再発見することになる。当時イギリスの「アーツ・アンド・クラフト運動」にも感化されていたスパーレは、その後フィンランドへの移住を決め、ポルヴォーに「アイリス工房」という名前の店を出す。そこでは、リバティー社の製品のほかオリジナルの家具や雑貨の販売もおこなった。また、その際「陶芸部門」の責任者としてスパーレがフィンランドに呼び寄せたのがフィンチである。

 もともとベルギーではスーラのような緻密な点描で絵を描く作家として知られていたフィンチだが、同時に、イギリスでウィリアム・モリスが提唱し高まりつつあった「アーツ・アンド・クラフツ運動」をベルギーにおいて紹介する陶芸家という顔ももっていた。モリスから影響を受けていたスパーレが目をつけたのは、この「陶芸作家」としてのフィンチであった。スパーレの「アイリス工房」は長くは続かなかったが、フィンチはそのままフィンランドに残り、指導者として多くの作家を育て75歳で亡くなる。

 スパーレとフィンチ、このふたりの外国人がいなければ、おそらくフィンランドの陶芸の歴史はまったくちがったものになったはずである。

 

ーー 外部からのまなざし

 フィンチが「アイリス工房」で手がけた花瓶などをみると、赤土の風合いをそのまま残した素朴なものが多い。これは、フィンランドによい赤土があったためである。「アーツ・アンド・クラフツ運動」に共鳴していたフィンチは、おそらくこの新天地でもその土地のキャラクターに根ざした作品の創造をめざしていたのではなかったか。そして、それはまたスパーレの望むところでもあったはずである。それに対して、フィンチの北欧の教え子たちには赤土をつかったような作品はすくなく、むしろ中央ヨーロッパのトレンドを意識したような作風が多いのが皮肉である。

 

ーー 黎明期の作家たち

エルサ・エレニウスの「青」。キュッリッキ・サルメンハーラの野生的な力強さ。備前焼っぽい。トイニ・ムオナの植物のようなしなり。

 

ーー 誕生したてのミステリアスな国

 他の北欧諸国に量産品の輸出で遅れをとったフィンランドのアラビア製陶所は、美術部門に力を注ぐことで差異化を図ろうとしたらしい。黎明期の作家たちの作品群からは、たしかに恵まれた環境の下、自由に創作に打ち込む様子が伝わってくる。在籍する作家も、フィンランドにかぎらず、スウェーデンオーストリア、またロシアからの亡命者など国際的である。これは環境的に恵まれていたことの証だろう。

 また、まだ独立して日の浅いフィンランドという国は、中央ヨーロッパからすれば「極北に位置するミステリアスな国」であり、それゆえフィンランドの美術品もそうした物珍しさも手伝いかなり需要があったのではないだろうか。それは、1900年の万博をきっかけに「ジャポニスム」が流行したことにも似ている。スオミズム!?

 

ーー ディレクターとして功績とデザイナーとしての失敗

 もっとも「アラビア」を象徴するプロダクトといえば、おそらくカイ・フランクの機能的な美しさをもつ作品といえるだろう。この「アラビア」を方向づけたのは1932年にディレクターに就任したクルト・エクホルムである。彼は、芸術部門(アート・デパートメントを設立し、社内に美術館をつくり、それとはべつに機能主義にもとづいた日用品としての食器の生産にも力を注いだ。これが、後にカイ・フランクらを世に送り出す磁場となる。また、自身デザイナーでもあったエクホルムは、フィンランドを象徴する「白」と「青」をモチーフにしたシンプルなカップ&ソーサーセット「シニヴァルコ(青白)」を発表するが、まだ時代が追いつかず失敗している。フィンランド人は、かならずしも最初からシンプルなものが好きというわけではなかったのだ!!

 

ーー ルート・ブリュックとビルゲル・カイピアイネン

 ルート・ブリュックの陶板画「聖体祭」は今回の展示の目玉のひとつ。田舎の祭りのような素朴な信仰心と美しい色彩、滑らかな質感、こればかりは写真で見ても見たとは言えないだろう。

 「パラティーシ」で知られるビルゲル・カイピアイネンだが、「菫(スミレ)」と題された大きな飾皿がすばらしかった。深く落ち着いた色彩と角度によって変化する質感。今回みたなかで特に印象に残った作品のひとつ。

19.08.2018-20.08.2018

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◎19.08.2018

 ぼくら日本人は、「別荘」と聞くとつい都会の暮らしをまるごと自然の中に移したかのような快適空間を想像しがちである。なので、多くのフィンランド人がそこで長い夏休みを過ごすという「別荘」が、じつは水道すら引いていないようなただの「小屋」であると知ったときはちょっとした衝撃だった。東京タワーや東京駅、それに横浜ベイブリッジなどのライトアップで知られる世界的照明デザイナー石井幹子も、1960年代のなかば、修業のため滞在していたフィンランドでそんな「衝撃」をじかに体験したひとりである。

 彼女を「サマーハウス」に招待したのは、アンティ・ヌルメスニエミとヴォッコ夫妻。夫のアンティは、かわいらしいホーローのコーヒーポットやサウナスツールで知られる「超」がつく有名デザイナー。ほかにも、ヘルシンキを走る地下鉄の朱色の車輌をデザインしたのも彼だったりする。また妻のヴォッコのほうも、マリメッコなどで活躍したやはり著名なテキスタイルデザイナーである。つまり、なにが言いたいかというと「お金持ち」ということである。お金持ちのデザイナー夫妻の「別荘」にお呼ばれしたわけで、当然うつくしいモダンデザインが並ぶリビングや清潔でシンプルな寝室、それにキャビアやらイクラやらが盛り付けられたリッツを沢口靖子が微笑みながら運んでくるカクテルパーティーといった光景が鮮明に思い浮かんだはずである、たぶんね。

 ところが、じっさい招かれた「サマーハウス」はぜんぶで2部屋くらいしかない慎ましい小屋であった。しかも、トイレに行こうとした石井にふたりはトイレットペーパーのロールを手渡し、「お好きな場所でどうぞ」といたずらっぽく外を指差したというのである。これは、なんかちょっとすごい話じゃないか。おそらく石井の世代(1930年代生まれ)であれば、トイレが建物の外に独立してあるとか、水洗じゃないとかくらいならごくふつうに受け入れることができただろう。しかし、ないのである、トイレが。売れっ子デザイナーのくせにドケチなの? 小屋を建てた大工さんがうっかり者で作り忘れちゃったの? それともあれか、トイレを作っちゃダメな宗教の信者?……

 しかし、もちろんそういうわけではない。フィンランド人にとって「別荘」とはなにか? ということがここから見えてくる。

 彼らにとって休暇とは日々の生活からの解放を意味し、休暇を過ごす空間としての「別荘」とはいわば日常を完全にシャットオフするための強制終了ボタンのようなものなのだ。そのため、そこではあらゆる文明を遠ざけ、できうるかぎり自然の状態に還ることをよしとする。このエピソードを知ってからというもの、ぼくのなかでフィンランド人とは「文明をまとった自然児」というイメージができあがった。よく日本人とフィンランド人は似ているなどと言われたりするけれど、こういう点にかんしていえばまったく似ていないなと思う。とはいえ、もちろんすべてのフィンランド人がみなことごとくこういう考えの持ち主というわけではない。じっさい、むかし知り合ったフィンランドの「都会っ子」の女の子は、夏になると家族で水道のないようなサマーハウスで過ごしたりするけれど自分はあまり好きじゃないと言っていた。

 フィンランド人のこうした自然観を知ることは、フィンランドの文化を深く理解する上でもっとも大切なことのように思われる。

 

◎20.08.2018

 なにを買うわけでなく、ただ小一時間ばかり本屋で立ち読みしたり、文房具屋を覗いてみたりと帰りがけに寄り道というほどでもない寄り道をちょっとしてみただけなのだが、それでもじゅうぶん「週末感」が出たのでやっぱり寄り道は大事と思った次第。