moiのブログ 日々のカフェ season3

東京・吉祥寺の北欧カフェ「moi」の店主によるブログです。基本情報は【about】をご覧ください。

カワイイ

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 カワイイ(「cawaii」)というタイトルのティーン向けのファッション誌、昔なかったっけ? それはそうと、先日来店したたぶん4歳くらいの女の子が、店に置いてあるノルウェーの絵本『キュッパのおんがくかい』を眺めながらしきりに「見た目はカワイイけど、木に登ってドロボーみたいで怖い!」と言っていたのが気になって、後から確認してみた。それまでまったく気にも留めていなかったけれど、なるほど「ドロボーみたい」だ。うん、ドロボーだろこいつ。まったく、子どもの「目」がもたらすこういうひとことにはいつもながらハッとさせられる。通勤途中、網棚の上にうっかり置き忘れてきた「子どもの目」を思い出させてくれるからだろうか。

 ところで、ツイッターでフォロワーさんからもリプライをいただいたけれど、じゃあ「見た目はカワイイ」のかといえばそれもなかなか際どい、インサイド高めギリギリみたいなところを突いている。でも、子どもにウケるものが大人の目からすると理解できないということはままあることだ。子どもの「目」は、成長する過程で一定の社会的規範(コード)によって束ねられてゆくのかな、そして「大人」というのはこうして「結束された子ども」を意味するのかな、などとふと思ったり。とすると、大人にしてなお子どもにウケる作品を生み出すことができるというのは、そういうコードによる束縛からするりと逃れることのできる天賦の才能の持ち主にのみ許された仕事なのだろう。

「ジャズる」と「ロックンロール」

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フランス・ギャルに「ジャズる心」というタイトルの曲があることは、わりかし多くのひとが知っていそうだ。<ドキドキする>とか<ワクワクする>、あるいは<ザワザワする>とか、きっとそんなニュアンスだろう。原題は「Le Cœur Qui Jazze」。「Jazzer」という動詞が使われているので、なるほど「ジャズる」というのは素直な訳なのだなとわかる。英語にも当然「ジャズる」に対応する動詞はあるはずだ。

日本では、浅草「電気館レビュー」昭和4(1929)年の演目に「サロメはジャズる」という作品をみつけることができる。内容は、あの『サロメ』を大胆に翻案したオスカー・ワイルドもびっくりのドタバタ喜劇であったらしい。観てみたい。いずれにせよ、1920年代にジャズが流行るとともに「ジャズる」といった表現も世界中で同時多発的に、パンデミックと言っていいような勢いで蔓延していったと考えてよさそうだ。

それに対して「ロック」はどうだろう。クイーンの有名な「We Will Rock You」の「Rock」の部分は、「オマエのハートを打ち震わせるぜ」みたいに訳されているのを見たことがあるが「ジャズる」みたいな意味なのだろうか?

日本語では、だが、「ロックする」というような使い方はあまり見かけない。なんとなく語呂が悪く落ち着かないし、だいたい「ロックする」では「え、なに? 鍵かけんの?」と勘違いされそうだ。

そこで思い出されるのは、なにかにつけて「ロックンロール!」と口にする内田裕也である。ただ名詞を連呼しているだけにもかかわらず、彼の口から発せられると「叛逆」とか「反骨」といったニュアンスが伝わってくるような気になってしまうのがなんとも不思議だが、じつのところなんの内容も伴われていない。ことあるごとに「グルコサミン!」と叫ぶのとあまり変わらない。すべては内田裕也の<オーラ>のなせるわざであって、「ジャズる」といった用法とはまったく無関係だ。

ふと思い立って、ぼくの大好きなYahoo!知恵袋をのぞいてみたらやっぱりありましたよ、「内田裕也さんがよく言う『ロックンロール』とはどういう意味ですか?」というトピックが。ちゃんと回答もついていてそこにはこう書かれていた。「柳沢慎吾さんの『あばよ』みたいな例えだと思います。」本当かよ。

いいのか? 本当にいいのか?

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小学生のまだ低学年くらいだった頃、親に連れられて入ったソバ屋でテレビを観ていたとき、いまアメリカで話題のバンドみたいな内容でロックバンドの「キッス」が紹介されていて、その白塗りメイクのおどろおどろしさに衝撃をうけソバを口から半分出したまましばし固まってしまったことがある。と思ったら、なんと来月予定されているキッスのライブに合わせてヘルシンキ中央駅に立つ4体の石像に白塗りメイクを施してしまおうというプロジェクトが進行中らしい。きのう、フィンランド在住のえつろさんから教えてもらった。ヘルシンキ駅は1919年竣工の歴史的建造物。いいのか? 本当にいいのか? 学芸員は止めなかったのか? でも、完成したらちょっと見たいな。

ディズニーのシリー・シンフォニー


Silly Symphony Flowers And Trees

荒れ模様の朝。窓から眺めると、みどり色のグローブのように枝の先に葉をつけた木々がわっさわさと揺れていて、まるクネクネと踊っているようにみえるーー ああ、あれだ、「シリー・シンフォニー」というディズニーの初期のアニメーションで見たのと同じだーー そう思って「Trees And Flowers」(1929)をひさしぶりに見た。花やキノコがラジオ体操をするシーンがあるのだけれど、アメリカにラジオ体操なんてあるはずないよね、と思ったら、ラジオ体操のルーツってじつはアメリカらしい。1922年にボストンのラジオ局でスタート、日本のラジオ体操の原型となったのは1925年にはじまった<Setting Up Exercise>という番組なのだとか。みんなが号令に合わせて一斉にからだを動かすなんていかにも日本人好みな気がしていただけに、ちょっと意外な気がしている。

誰でも知っていると思うなよ

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駅でホームの階段を駆け下りようとしてギョッとした。巨大な彌生ちゃんと目があったからだ。正体は、正面に貼られた開催中の展覧会の巨大ポスター。ここで大事なのは、ぼくが<草間彌生を知っている>にもかかわらず驚いたことである。たとえば幼児とか外国人とか、つまり<草間彌生を知らない>ひとが同じシチュエーションに遭遇したらどうか、ちょっと心配である。ならばニッコリ微笑んでいればいいかといえば、それはまた別の問題だ。ニッコリ微笑む彌生ちゃんには、また別の種類の恐ろしさがある。問題は複雑だ。

賛歌

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コスプレというものがあるが、その要領で、詩人になりきって詩を書いてみた。シュークリームを買った俺はえらいという詩である。

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家は買えないが、おれはシユウクリームを買う。

家は味気ないが、シユウクリームはうまい。

シユウクリームは冷やすとさらにうまくなるが、冷やした家はただ薄ら寒いだけだ。風邪を引くゾ。

家は焼けて灰になつてしまつたりするが、こんがりキツネ色に焼けたシユウクリームはますますいい感じだ。

シユウクリームは雲のやうにふんわりしてゐるが、家は硬い。そのくせ「堅牢」だとか云つて威張りくさつてゐる。権威主義だ!

だいいち、ここが肝心なところだ、家は買えても家庭は買えないが、シユウクリイムをひとくち齧つてみろ。ほうら、しあわせな気持ちがするだらう。

勝負あり!女神の祝福はシユウクリームの頭上に!

家は買えないが、きのうオレはシユウクリームを買つたのだ。断然おれは偉い。