盆回り
まったく<刷り込み>というのは恐ろしい。
たとえばオーダーが立て込むなどして取っ散らかっているとき、脳内で自動的に再生される音楽がある。それは、昭和に育ったよい子なら誰でも知っているあの曲だ。そう、毎週土曜日の夜放送されていたドリフターズの番組『8時だョ‼︎ 全員集合』の前半、セットの「家」がバタバタ崩壊するお決まりの大団円で流れるあの古いチャンバラ映画のBGMみたいな曲。無性に駆け出したい気分のときにはオッフェンバックの『天国と地獄』が、道に倒れて誰かの名を呼び続けたいときには中島みゆきが流れ出すように、ドタバタ取っ散らかっているときにはあの『8時だョ‼︎ 全員集合』の音楽が流れ出す。
せっかくなので調べてみた。そうか、あの曲「盆回(ぼんまわ)り」という題なのか。ステージ転換のときに流す音楽だから「盆回り」。なるほど。
こうしてまた無駄な知識がひとつ増え、かわりに大事な事柄をひとつ忘れる。
マッティ
<出かけたいのに、ドアの外に住人がいる。>……
<見知らぬ人と、エレベーターで2人きり。>……
<ナマケモノだと思われたくなくて、具合が悪くても出社。>……
カロリーナ・コルホネンの『マッティは今日も憂鬱 フィンランド人の不思議』(方丈社)には、典型的なフィンランド人「マッティ」を日々憂鬱にさせるちょっとした出来事が並べられていて思わずニヤッとさせられる。
厳密に言うと、典型的なフィンランド人男性、しかもアルコールが入っていないときのフィンランド人男性あるある、という感じ。フィンランド人の男性と友だちになりたい人、ぜひ参考にして下さい。
あと、タイトルの「マッティ」の部分を「マサオ」に変えると、中身はそのまま日本人バージョンにもなりそう!?
ゴブラン
体調がよくなかったので、予定を変更して『19世紀パリ時間旅行〜失われた街を求めて』と題された展覧会を練馬区立美術館でみる。
とはいえパリ、ことさら19世紀のパリについては不案内ゆえ、まずはフランス通のオーナーがやっている地元のカフェに立ち寄ってから行くことにする。その店へは高校のころ、ということはつまり大昔にときどき行っていたのだが、その後アンティークショップになり、また最近になってカフェが再開されたのを機にちょくちょく行くようになった。ちょっと話題をふると、かつてパリで<遊んでいた>頃の思い出をまじえつつ、カウンターにグラスを並べるように次から次へとさまざまなエピソードを取り出しては聞かせてくれるのがうれしい。サヴィニャックのコレクターとしても著名なオーナーは、羨ましいことにパリの、かつて「ゴブラン織り」で栄えたあたりにちいさなアパルトマンを所有しているという。
美術館でいまから120年くらい昔のパリの景観を描いた銅版画を観ていたら、オーギュスト・ルペールという作家のその名も「ゴブラン界隈」という作品をみつけた。3人の男女が工場らしき建物の屋上でなにやら作業している。背景には、細長い煙突が幾本か煙を吐いているのが見える。パリというよりは戦前の東京の下町、本所あたりの景色のようでもある。しかしなにより、話を聞いていったおかげでそれまで縁も所縁もなかったゴブランという街がちょっと親しみのある場所に感じられたのが愉快だった。ゴブランの絵がありましたよ --- こんどオーナーに教えてあげよう。--- オチはないです。
ペディグリーチャム殺人事件
ペディグリーチャム殺人事件。朝、目がさめてぼんやりしていたら唐突にそんなコトバが思い浮かんだのだ。いきなり何が言いたいのだ? まったく、脳ってこわい。ぼくにとって、脳は真っ暗闇で、そのなかを無数のコトバが蠢いているイメージ。彼らは、指令がきて呼び出される時を待っている。なかには二度と出番のないまま消えてゆくものもあるかもしれないが、それでもただ待っている。ところが、ときに呼び出されてもいないのに自力で飛び出してこようという奴らもある。コトバの暴発。けさ、<ペディグリーチャム>と<殺人事件>とはこうやって申し合わせて飛び出してきたのである。言ってみれば、これはコトバの逃避行だ。もしかしたら、シュールレアリスムの<自動記述>とはこういうことなのかもしれない。どうなんだろう? 教えてブルトン先生。
だが、ほんとうの脳のこわさは、こうしたコトバたちの勝手気ままを脳はけっして許さず、すぐさま追いかけ、意識という「網」で捕獲しようとするところにある。というのも、ぼくはすぐさま「ネコまっしぐら カルカン殺人事件」という言葉を連想したからである。せっかく自由を求めて飛び出してきたのに、意識は「ネコまっしぐら カルカン殺人事件」というなんとも恐ろしい飛び道具をもって<ペディグリーチャム殺人事件>を引っ捕えることで、それをたんなるナンセンスな言葉遊びに変えてしまった。<詩>は意識に対する<抵抗>だが、「言葉遊び」は意識への<従属>である。意識はコトバを秩序づける。秩序づけられたコトバは「言葉」になる。
朝、目が覚めてからのほんの数十秒のあいだにこんな恐ろしい闘争のドラマが繰り広げられていたのかと思うと、ホント脳ってこわい。
開店前のパン屋のパンが
朝、パン屋の前を通る。パン屋はまだ閉まっている。その開店前のパン屋から、いままさにパンを焼いているなんともいえずいい匂いが漂ってくる。パンが食べたい、パンが食べたい、いますぐパンが食べたい……。かつて、フランスのさる高貴な婦人はこう言ったそうだ。<パンがなければお菓子を食べればいいじゃない>。バカを言うな。オレはパンが食べたいのだ。それも、<開店前のパン屋>のパンが。