moiのブログ 日々のカフェ season3

東京・吉祥寺の北欧カフェ「moi」の店主によるブログです。基本情報は【about】をご覧ください。

7月のお休み

七月のお休みのご案内です。毎週火曜日にくわえ、6日(水)、さらに15日(金)にお休みを頂戴いたします。

15日は金曜日ですが、外部にて終日「防火管理責任者」の資格講習を受けねばならないためやむなく臨時休業とさせていただきます。6日は、キッチンスタッフと新しいメニューの試作会を行う予定です。

蒸し暑い毎日になりそうですが、静かなモイでのんびり涼やかな北欧時間をお楽しみ下さい。

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〝北欧っぽさ〟と竹山実のデンマーク

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◆ 渋谷のランドマーク「109」をはじめ、数々のポスト・モダン建築で知られる建築家・竹山実。『そうだ!建築をやろう―修業の旅路で出会った人びと』(彰国社)は、札幌に生まれ学生時代を東京で過ごした彼が、その後アメリカからデンマークへと渡り歩くなかで出会った〝忘れ得ぬひとびと〟をピックアップし、その思い出を綴った回想録である。

 1962年、アメリカを離れることになった竹山は、デンマークに渡り、シドニーオペラハウスのコンペを勝ち取ったばかりのヨーン・ウッツオンのアトリエに職をみつける。地図を見ながら、コペンハーゲンから北へ車で1時間ほど離れた海辺の町にあるウッツオンのアトリエまでようやく辿り着いてみると、アトリエにはウッツオン本人はおろか、留守番の所員の姿すらみあたらない。そして、ドアに貼られた一枚のメモ書きにはこんなことが書かれていたという。


「ミノル。よく来た。家の中に入って、着替えて海岸に来い。今日は稀に見る絶好の日和だから、われわれはみんな海で遊んでいる」。


 北欧らしいといえば、いかにも北欧らしいエピソードではないか。大きなコンペを獲ってしっちゃかめっちゃかになっていて当然のときに、天気がいいからといって全員が職場放棄して遊んでいるなんて。気候風土から「暮らしぶり」が生まれるとしたら、一年を通してなんとなく気候のよい日本で日本人が一年中なんとなく働いているのも頷ける。これは、以前スウェーデン福祉施設インターンとして働いた経験のあるお客様から聞いた話なのだが、温厚な同僚たちが唯一声を荒げて言い合いをしていたのが「夏休み」の予定を調整しているときだったという。晴れたら休む、は、北の厳しい自然を生き抜くために培われた「智慧」のひとつなのかもしれない。


◆ もうひとつ、同じ本のなかに彼がデンマーク王立アカデミーで教鞭をとっていたころの学生にまつわるエピソードがあるのだが、これがまたいかにも〝北欧っぽい〟とぼくは思うのだ。
 竹山によると、建築家をめざす当時のデンマークの学生たちは「実在しないものに夢の理想を追い求める創造の姿勢」からは一様に無縁だったという。彼らにとって「創造力」とは、「いままでに見たことのない空間や形態」を発想する力を指してはおらず、「あくまで現実に存在していて実際に経験できる対象から出発し、それをよりよい次元にレベルを高めることに必要な力」を指して言われるべきものなのだ。彼らに言わせれば、たとえそれがオリジナルな発想を持ったものであったとしても、「実際に使用する社会の人びとの支持を得られないなら」ダメということになる。
 個性で目立つよりも、現実に寄り添いつつ、そこに新しい価値なり意味なりを付与することをもって「クール」とするような考え方は、おそらく長い時間をかけて北欧の人びとに広く共有されてきた考えなのだろう。そしてこれは、なぜ北欧デザインはシンプルなのか? という問いへのひとつの答えになっていると思うのである。

4月のお休み

桜も散り、今月から新生活をスタートされたみなさんも少しずつペースが見えてきたころではないかと思います。そして待ちに待ったGWもあとわずか、寒暖の差が激しいですが体調を崩されないようどうか気をつけてお過ごし下さい。

 

さて、今週はあす12日(火)、13日(水)は連休させていただきます。以降、4月は火曜日の定休日のみのお休みとなりますので何卒よろしくお願い致します。

さくらさくら/もう一度タッチして下さい/あさきゆめみし

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◆さくらさくら

 人が人を呼ぶ。これは、お店をやっているとよくわかるが、ほんとうである。満席で、どこからどう見てもこれ以上は無理というようなときにかぎってお客様は次々とやってくるものだが、誰もいない店内で「さぁ、どんどん来てください!」とばかりに両手を広げて待ちかまえていると、いっこうにお客様はやってこない。興味ありそうに覗きこんでいるお客様までが踵を返して消えてしまう。コルコヴァードの丘に、ひとり立たされている気分になる。

 人を呼ぶための人を、業界では「サクラ」と呼ぶ。古来、桜の花がひとの目を、そして心を惹き付けてきたことからそう名付けられるようになったのではないかと思うが、ちゃんと語源を調べたわけではないので確かなことはわからない。以前、某ファストフードのチェーンが新業態の店舗のオープン初日にアルバイトの「サクラ」を雇い行列をつくらせ、結果消費者の不興を買ったことがあったが、最近の企業(やお店)の多くは、以前なら雑誌広告や新聞の折り込みチラシに投じていたようなお金をこうした「見えづらい広告」に費やすパターンがよく見受けられる。雑誌で、人気のタレントが旅をする特集記事が読んでいたら、最後にボンネットを開けてピカピカのエンジンルームを覗きこんで爽やかに微笑むタレントの写真が…… なんだ!クルマの広告かよ! あのパターンである。

 ところで、営業中かなりな頻度で電話がかかってくるのが「食◯ログの代理店」を名乗る者からである(それにしたって「食◯ログ」と「N◯T」は代理店多すぎだろ)。聞けば、お金を払うと「食◯ログ」の検索でヒットしやすくなったりするらしい。評価される側の資本が流れ込んだ時点で口コミサイトの意義なんてなくなってしまうのではないかとつい余計な心配のひとつもしたくなるが、グルメサイトだけに運営側もおいしい思いがしたい、まあ、そういうことなのだろう。

 

◆もう一度タッチして下さい

 乗り越しでもないのに、前の前の男が駅の自動改札で引っかかった。すでにピークを過ぎたとはいえ、まだまだ通勤通学の客も少なくない時間帯、あっという間に人がつかえてあふれだす。バツが悪いのだろう、男は「チッ」と舌打ちなどしていかにも不服そうだ。

 が、ちょっと待て。「チッ」と言いたいのはこちらである。オレはこの目でしっかり見たのだぞ、かざせば済むカードをわざわざバシッとパネルに叩きつけ、そのうえさらにズリズリと左右にこすりつけたアンタのその無粋きわまりない一連の動作を。あの「バシッ、ズリズリ」が本当に、生理的に苦手だ。無意識にこういう動作をするひとは、たぶん串カツ屋ではソースを二度漬け、三度漬けするし、他人の話を聞きながら「はいはいはいはい」と相槌を打っているにちがいないのである(かなり偏見入ってます、すみません)。あと同じくらい苦手なのは、周囲に大勢ひとがいるにもかかわらず、カサの真ん中あたりを掴んで水平に持ち歩いているひと。「オマエは武士か! チョンマゲ結ってやろうか!」と心の中で悪態をつかずにはいられない。悪態をつくだけなのは、たまたまポケットの中に「元結」の持ち合わせがないからにすぎない。

 とはいえ、じぶんの無意識の振る舞いの中にもきっとこういう「無神経さ」 がいろいろあるのだろうし、実際に気づいて直したこともある。いちばん恐ろしいのは、気づかず、しかも誰からも指摘されないことだと、こういう場面に遭遇するたびいつも思うのである。

 

あさきゆめみし

 夜半に、スタッフがインドで買ってきてくれたマサラティーを飲みながら読書する。至福のひととき。こういう時間をほんのわずかでも毎日持てているからこそ、たとえしんどいことがあっても日々なんとか踏ん張ることができている。

 「お金がないから」「時間がないから」…… 自分の生活に「欠けている」ものをあげつらうことはたやすい。が、それでは気が滅入る一方ではないか。本とおいしいお茶、そんなささやかな道具立てで生活をほんのすこし満たすことができるのなら、そんな時間がちょっとずつたくさんあったほうが上機嫌で日々過ごせるのではないだろうか。

 東京でなくてもかまわない、いつかどこか空気の澄んだ街のこじんまりとした図書館の片隅で、喫茶室など営んでみたいものだ。そんな話があれば、きっと本気で移住をかんがえてしまうだろう。公共の図書館が無理なら私設美術館の片隅とか、本屋さんでもいいかもしれない。そして、そんなフワフワしたことをかんがえながら、眠くなるのを待つのもまた愉快。 

ぐうの音も出ない/気のきいたことを言う/浮世離れ

◆ぐうの音も出ない

ワタリウムでリナ・ボ・バルディのすごくいい展示を楽しみ、さてこれからどうしようと考えたら、ひさしぶりに浅草へ出るというアイデアが閃いた。アンジェラスでコーヒーを飲み、弁天でソバを食うのだ。
昼はもうとっくに過ぎているが、ひとまず混雑を避けてアンジェラスで一服。と、すぐ近くで某二ツ目噺家がシリアスな内容の話をしていることに気づく。聞かなかったことにしようと心の中では思いつつ、耳はしっかり聞いてしまう。もう読書どころではない。後になって調べたところ、すでにひっそり公表されているようで安堵する。益々の御活躍を。
たまに浅草まで来たのだから、ここはやはり観音様にもお詣りするべきだろう。仲見世通りが賑わっているのはいつものことだが、なにか様子がおかしい。ふと見ると、目の前をちゃちな日本刀を背負ったインド人が歩いている。苦笑いしながら横を見る。セーラー服にランドセルを背負った女だ。メロンソーダみたいな色の髪の毛をした白人のお姉さんである。後ろからは中国語らしき言葉が聞こえてくるが、つぎは何が出てくるかわからないのでもう振り向かない。
お詣りを済ませ、ふだんはまずやらないおみくじなどなんとなくやってみたところ、見事に「凶」を引き当てる。願望、病気、失物、待ち人、新築・引っ越し、結婚・旅行・付き合い、すべてにおいてこれでもかというくらい最悪なのだが、説明を読むとその原因は「未熟」にあると書かれている。ぐうの音も出ないとはまさにこのことである。いま、うまく回っていないと思われる事柄がたくさんあって、もちろんそのなかには自分の力ではなんともしがたいことも含まれてはいるのだが、たいがいは自分の「未熟さ」に由来していると思われることばかりだからである。その通りです。参りました。というわけで、自戒の意味で持ち帰ることにし財布にしまう。
その後、観音裏の弁天でおかめそば。美味だったので、吉。

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◆気のきいたことを言う
いま、日本には「気のきいたことを言いたい」人たちが溢れている。隙あらば気のきいたことを言おうと、この人らは虎視眈々とその機会を窺っている。「気のきいたことを言いたい」病の温床は、もちろんSNSである。
いっぽう、やはりすくなからず存在しているのが、「気のきいたことを聞きたい」人たちである。彼らは、テレビのワイドショーに登場するコメンテーターたちをさながら幕の内弁当のおかずでも吟味するかのようにチェックしつつ、「おい! 少しは気のきいたことでも言ってみろ!」と心の中で威丈高にヤジを飛ばす。いちど彼ら視聴者から「つまらない」という烙印を押されたら最期、コメンテーターは退場させられ二度と出番はやってこない。ワイドショーのコメンテーターとは、つまるところ「視聴者」という見えないお客様を喜ばす「接客業」にほかならない。
ところでクリスタルK、ではなくてショーンKである。我が家にはテレビがないのでどこかでなんとなく目にした記憶があるに過ぎないのだが、このひと、おそらく「気のきいたことを言いたい」人にちがいない。そして今回の経歴詐称騒動にかんしていえば、ネット界隈であまり批判的な声が聞かれないのも当然だろう。「ショーンK」というキャラじたい、「ショーンK」こと川上伸一郎クンと「気のきいたことを聞きたい」人びととによるある意味「共作」なのだから。むしろ、コメンテーターが一夜にしてコメンテーターの標的に一変するという「メビウスの環」的なおもしろさすらある。これにより、「ショーンK」というブランドのCS(顧客満足度ってふつうに言えんのか、おい)は一層向上したとも言える。おそらく、来月には「自伝」が幻冬舎あたりから出版され話題になるだろうし、再来週には別の人格になりきって週末をエンジョイするプチ「ショーンKな人たち」が「SPA !」あたりで特集されるはずだし、大川隆法による「霊言」はそろそろ新聞に広告が載るころかもしれない。「ショーンK」というビジネスの成長戦略もいよいよここからが本番、ネクストステージにさしかかったということだろう。まぁ、それはともかく、ヒゲ濃いよね、このひと。

 

◆浮世離れ

季節は巡り、また桜が咲いた。この時期になるときまって思い出されるのが松尾芭蕉の句である。

 さまざまの事おもひ出す桜かな

年ごとに多少のズレはあるとはいえ、桜は、ある決まった時期になると一気に開花し、そして一気に散る。だらだら続かず、花の盛りはわずか10日間程度とごく短いのだが、そこがいい。ほかの多くの花の開花の時期を「線」とするならば、桜のそれは「点」である。それゆえ、もしこの世に「暦」がなかったとしても、ぼくらはその開花をもって季節の替わり目を実感することができる。それにくらべたら、ひとが「節目」と考えがちな「お正月」や「誕生日」は「暦」あってのもの、それなしには知りようもないのである。日本の風土に生まれ育ったひとが、古来から「桜」の開花をひとつの「節目」と考えてきたのは、だから当然といえば当然なのである。

ここ数年、桜のたよりをきいて思い出すのは平成23年の春、あの東日本大震災があった春にみた桜のことである。いつもより心なしか澄み切った青い空を背景に、それはまるでなにも知らないかのように咲き誇っていた。目に見えない放射性物質に対する恐怖。この先日本は、そして自分の生活はどうなってゆくのだろう? そんな漠然とした不安を抱えながら見上げるこちらの気持ちなど一切おかまいなく、桜の花々はいつものように美しかった。そしてそれが、なんだかずいぶんと浮世離れしてみえたのだった。

ひとがそこで上機嫌でいられる場所を…

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外苑前のワタリウム美術館で「リナ・ボ・バルディ展」をみてきた。とにかく、ゾクゾクするくらい感激した。

リナ・ボ・バルディは、1914年イタリアのローマに生まれた〝ブラジルの〟建築家。大学で建築を学んだが、卒業後はジオ・ポンティのもとでデザイン関係の仕事をこなしインテリア雑誌「domus」の副編集長も務めた。結婚後、夫とともにブラジルに移住した彼女は新天地で建築を手がけるようになり、36歳のとき帰化している。帰化したとき、「人は生まれる土地を選ぶことができません。すべては偶然です。私はブラジルでは生まれなかったけれど、生きる場所としてここを選びました」と言っている。この言葉は、じつは彼女がブラジルに残した建築作品を語る上での核心そのものなのではないか、とぼくは思う。

 

今回の展示のよさは、スペースの制約を考慮してか、紹介する作品を絞りに絞っている点にある(監修はSANAA妹島和世)。大きく取り上げているのは、リナ・ボ・バルディの処女作である自邸「ガラスの家」、いまやサンパウロのランドマークともいえる「サンパウロ美術館」、そして使われなくなった工場を地域住民のためのレジャーセンターへと生まれ変わらせた「SESCポンペイア文化センター」の3つ。付随して特徴的な作品(まぼろしに終わったものも含めて)が紹介される。

 

パウリスタ大通りに面して建つ「サンパウロ美術館」。1階は「ベルヴェデーレ」と呼ばれる吹き抜けになっていて、市民が自由に出入りできるお祭りや、ときにはサーカス小屋が立ったりもする。彼女が考案したガラス板で作品を挟み込む独立型の展示パネルもユニーク。作品を壁から解放したというのは革命的だが、絵の向こうに動いている人間がチラチラ見え隠れしたりすると落ち着かないのでは? という気もしないではないが。ちなみに、彼女は自身のアトリエを構えず、あるプロジェクトを手がけているときはその建設現場のプレハブにこもって仕事をしたそうである。

 

◆処女作で、彼女が生涯をそこで暮らした「ガラスの家」。丘の斜面に建つガラスの箱のようなたたずまい。じつは、ぼくがリナ・ボ・バルディという名前を知ったのは1999年のこと。彼女の特集を組んだ建築雑誌「a+uエー・アンド・ユー)」を本屋でみかけ、表紙に使われたこの「ガラスの家」にすっかり魅入られてしまったのだ。建物の全体がまるみえの竣工時(1951年)の写真と比べ、1998年に撮影された同じ建物は生い茂った熱帯植物に隠れてまるで別の建物のようである。リナは、すでに未来の姿まで計算に入れ植栽を計画していた。その一見素っ気なくみえるガラスの箱は、周囲がジャングルのように生い茂ったとき、饒舌の中の沈黙として意味をもち美しく立ち上がるのだ。それは、まるで錬金術のようである。鳥肌が立った。じっさい、晩年の彼女の容姿はちょっと魔法使いにみえなくもない。今回の展示では、3階がまるごと「ガラスの家」の内装や彼女がデザインした椅子などの紹介にあてられているのだが、そのなかに彼女がコレクションしたバイーア地方の素朴な民芸品の数々があり、これがまたひとつひとつなんともいえずチャーミングなのだ!こうした土着の文化からも、彼女はさまざまなインスピレーションを受けていたようである。

 

◆「SESCポンペイア文化センター」は、ポンペイア地区の使われなくなった工場跡を巨大なレジャーセンターとして生まれ変わらせようという巨大プロジェクト。鉄筋コンクリートのスポーツ棟の壁面に穿たれた「雲」のような穴の数々は、ガラスを嵌めずに換気ができる格子窓になっていて日本を旅した際にひらめいたアイデアだそうだ。施設のロゴだけでなく、アイスクリームの屋台やここで活動するサッカーチームのユニフォームまでデザインした彼女は、まさにこのプロジェクトに持てる力のすべてを注ぎ込んだといえそう。

ある土曜日に(下見のために)私がふたたびここを訪れたとき、その雰囲気はまったく違っていた。(中略)子供たちはあちこちを駆け回り、若者たちは、破れた屋根から落ちてくる雨に打たれながら、サッカーに興じていた。ボールが水溜まりを打つと、彼らは笑い転げた。(中略)この幸せをそのままに、すべてはここにあり続けねばならない。私はそう心に思った。

リナ・ボ・バルディは、ひとがつねにそこで〝上機嫌〟でいられる場所をかんがえ、つくろうとした。それは、異邦人である彼女が新天地でみつけたみずからの「役割」だったのだろう。

 

けれども今回の展示で個人的にもっとも印象に残ったひとつとしては、あえてサンパウロ郊外に建つ質素な「サンタ・マリア・ドス・アンジョス教会」(1978年)を挙げておく。外壁をこの土地固有の赤土を混ぜ込んだセメントで仕上げ、屋根に藁を掛けられたそれは、屋根の十字架がなければとても教会にはみえない。せいぜい村の集会所といったたたずまいだ。彼女は、こうした簡素でその土地ならではの資材を活用した建築を「貧しき建築」と呼んだ。

「貧しい」という日本語にあまりいいイメージはないけれど、これはガロートの名曲「貧しき人々(Gente Humilde)」の「Humilde」なのだと思う。つまり「つつましい建築」といったところか。たとえば、北欧でよくみかえる赤い壁の家、あれも北欧の鉄分を多く含んだ土を焼き、ライ麦粉を混ぜて煮込むことでつくられた顔料で塗られた北欧ならではのいわば「貧しき建築」ということになる(伊藤大介『アールトとフィンランド〜北の風土と近代建築』参照)。カトリック教会をその土地の人びとの信仰のよりどころにするためには、ローマの大伽藍のようなものよりもむしろ、その風土にしたがった〝つつましい〟ものであるほうが相応しいと彼女は考えたのではないだろうか。

「生きる場所」としてブラジルを選んだリナ・ボ・バルディは、ブラジルの人びとが〝上機嫌〟でいられる場所をつくることでまた自分の「居場所」をもつくっていたのだと思う。

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サンタ・マリア・ドス・アンジョス教会の模型

画像引用元記事/

ブラジルの建築家リナ・ボ・バルディ展、今日から開幕 – ブラジルの今をお届け - MEGABRASIL

通なひと/価値を見いだすひと/選ぶひと/夢をみるひと/世界を股にかけるひと

◆通なひと

掲載されていないにもかかわらず、店内でちらほら雑誌「Hanako」の吉祥寺特集を手にしたお客様をみかけるようになり、そのたび、たぶん自分だったらまず掲載されているお店に行くよなァとちょっと不思議な気分になる。(掲載店はどこもみな混雑で入れずとりあえず空いている店に入った)という可能性はひとまず頭の中で強く打ち消し、(みなさん「Hanako」に載っていないようなお店を探すことを好む〝通人〟なのだ)と思い込むようにしている。

◆価値を見いだすひと

そこそこおいしいコーヒーが、コンビニに行けばたったの百円で買えるそんな時代に、わざわざ数倍ものお金を支払ってモイでコーヒーを飲んでくださるお客様がいらっしゃることを日々ありがたく感じている。ある意味、〝同志〟とも思っている。なぜなら、そのひとたちはモイで飲む一杯のコーヒーに〝価値を見いだすひと〟だからである。モイのコーヒーは、お客様の顔をみてつくられ、ひとの手から手へと渡されるコーヒーである。コンビニのコーヒーには真似できないその部分に、きっとお客様は価値を見いだしてくれているのだろうと思う。けれでも、価値に拠るものは弱い。じっさい、砂漠をゆくキャラバン隊にとって、それはまずまっさきに「持ってゆくものリスト」から削られてしまうだろうものだ。でも本当にそうなの? キャラバン隊の人びとが砂漠のさなかにあっていちばんに恋い焦がれるものは、じつはこういう価値に拠るものなのではないか。その意味で、価値に拠るものは強いのだ、本当は。そしてたぶん、それが判るひとはきっとモイに来てくれる。

◆選ぶひと

誕生日のお祝いにと、お客様から花をいただいた。ひとくちに花といってもさまざまな種類があり、またいろいろな色がある。そのなかでこの花を、そしてその色を選んでくださったわけである。プレゼントのありがたさとは、その「もの」以上に、じつはそれを選ぶ気持ちにこそあるのではないか。

◆夢をみるひと

カフェをやっていてもっとも理想的なのは、いつもそこそこに忙しいという状態ではないかと思っている。でも、そこそこ忙しいということは一年を通じても数日あるかないかで、じっさいには、カフェの日々とは「めちゃくちゃ忙しい」と「めちゃくちゃ暇」のだんだら模様のことである。だからもう最近では、そこそこに忙しいカフェなどというのはしょせんガンダーラ、どこかにあるユートピアなのだとかんがえるようになった。

◆世界を股にかけるひと

世界を股にかけるとはよく耳にする言い回しだが、最近その「世界を股にかける」の実例を身近なところで目撃し感動している。まァ、うちのスタッフのことなのだけれど。彼女は、ゼミの研修で台湾から帰国したあくる日モイで一日はたらき、その翌朝には、こんどは卒業旅行のためインドへと旅立っていった。店主が中央線を反復横跳びしているあいだに、世界を股にかけるひとは一足飛びでガンダーラへとたどりついてしまうのだ。

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