空は、
バスを待ちながら、ぼんやり空を見上げていた。ひさしぶりに青い空。光の波長がとかなんとか、でも、心情的にはあいもかわらず「空気は透明なのになんで空は青いの?」という小学校低学年のマインドに近しさをおぼえる。
ところで、「空は、」(「空が、」でもかまわないけれど)の後にどんなことばを思いつくかで、じつはそのときの気分を知ることができるのではないか。
たとえば、「空は、青い」といえば「あたりまえじゃん!」と返されそうだが、そんな当然のことにも驚いてしまうくらいなにかに忙殺されていたんだなぁと気づかされたり、気持ちが沈んでいるときには、おなじ「青」でもそこに「憎らしいほど青い」という感情が上書きされていることだってあるだろう。大きく伸びをしながら「空は、広い」と言うひとは、めいっぱいの開放感を味わっていることが伝わってくるし、イケイケの「無敵」なひとだったら、空の大きさに自分の無限大の可能性を重ね合わせたりしているかもしれない。
そのときそのとき、じぶんの感情を鏡に映すみたいに空を見上げてどんなことばが連想されるか、たまにためしてみるのもちょっとした「心理テスト」のようで面白いかもしれない。
ところで、きのうは定休日だったのだけれど、図書館を3軒ハシゴして気づいたらすっかり日も傾き、お休みも終わっていた。あたりをつけた資料をいろいろつぶせたのはよかったが、けっきょく思っていたような情報にはたどり着けず。それでも、消去法的にかんがえれば一歩「真相」には近づいたということか。刑事(デカ)かよ。