moiのブログ 日々のカフェ season3

東京・吉祥寺の北欧カフェ「moi」の店主によるブログです。基本情報は【about】をご覧ください。

14.08.2018

◎14.08.2018

 両親を見ていると、体力もだが、年寄りにとってなにより大切なのは気力、言いかえれば「生きることへの意志」なのではないかと感じる。退院後、自宅で療養を続け体力はだいぶ戻ってきたように思える父も、まだまだ気力は回復しきってはいない。それでも体調だけはだいぶよくなってきたようなので、父、それに母を伴い有楽町のとあるお店に行ってきた。

 その店は、1957(昭和32)年に開店したレストランで、いまは喫茶店として営業をつづけているのだが、それを知った両親が以前から訪問したいと口にしていたのである。なんでも、結婚前によくそのお店でデートしていたのだとか。ふたりの言葉を信じれば、約60年ぶりの再訪ということになる。

 さすがに外観こそ変わっているが、両親によると店内の印象は当時とあまり変わっていないらしく、店に入ると同時に、なつかしい、なつかしい、と昔話に花を咲かせていた。家に帰ってからも、ふたりしてまた行きたいなどと言っている。ずいぶんと活力が湧いてきたようだ。とりたてて高級だとか、小洒落ているとかいうわけではないが、それでも、こうやってただ同じ場所に佇んでいるだけでもお店はこんなにもひとに元気をあたえるものなのだ。

 とはいえ、お店はいつか飽きられる。「カフェは5年もてば老舗」とは東京カフェ・マニアでおなじみの川口葉子さんの言葉だが、よほど恵まれた環境にでもないかぎり、せいぜい10年、よくて20年もてば「長命」ということになるのではないか。これはもう、都会の飲食店の抱える「宿命」といっていいと思う。だが、両親のよろこんだ顔を見て、お店がなくなるとはただ文字どおりその場所からひとつの店が姿を消すという以上に、思い出の「受け皿」がこの世から消えるという意味でもあるのだとあらためてかんがえさせられた。

 

◎15.08.2018

 終戦記念日。子供のころ、母親からずいぶん戦時中のつらかった話、悲しかった話など聞かされた。そんな話を聞きながら、日本人はどうしてそんな無茶苦茶な戦争をしなければならなかったのか、子供心にも不思議に思ったものだ。というのも、途中からは「勝てるはずないと思った」「ふつうの人たちはだれも戦争なんて望んではいなかった」などと言い出すからだった。それならば、みんなで「反対」して阻止すればよいものを「反対なんてできるわけがない」などと言う。

 終戦当時まだ小学生だった母親が、はたして実情をどのくらい理解していたかはわからないが、反対もせず、ただ言われるがままに「望みもしない戦争をやっていた」当時の日本の大人たちはアタマがおかしいのではないか、ぼくは話を聞きながらまったく意味が分からなかった。だが、いまならそれが分かる気がする。なるほど、そういうことだったのかと腑に落ちる。

 ここのところ、2年後の東京オリンピックのためのボランティア募集の話題をよくツイッターなどで目にする。この酷暑の中、会社や学校を休んでまでボランティアに参加しようとかんがえるものがどれくらいいるだろう? しかも、内容によってはかなり専門的な知識を必要とされるにもかかわらず、謝礼はおろか交通費すら支給されないという。たいがいは、「だれが参加すんの?」「こんなの人が集まるわけがない」「ぜったいヤダ!」といった感想も一緒に流れてくる。だが、どうだろう? その募集が、もしこんなふうに行われたとしたら……。

 たとえば、会社から「業務命令」に準じるようなかたちでボランティアを要請される。任意だが、参加しなかった場合は査定に影響が出る、とか。あるいは学生だったら、就職したい企業の募集要項に条件として「ボランティアの参加」が明記されていたりしたら、インターンに行った企業で「業務」としてボランティアを命じられたら、拒絶するよりはほんのしばらくの我慢と自分を納得させて参加してしまうのではないか。

 また、もっと周到に、「空気」のようになされることで、結果的に「やりたくないボランティアに参加せざるをえない」状況に巻き込まれることだってあるだろう。

    たとえば、学校のPTAや町内会、商店会などの組織として「協力」する場合がそれにあたる。本音ではやりたくなくても、みんなで分担する仕事としてそれがあるとき、「私は参加しません」とはなかなか言いづらいのではないだろうか? なぜなら、他のみんなも「参加したくない」という気持ちでは同じだからである。参加を拒否すれば、当然あのひとは「みんな仕方なくやっているのにズルい」「協調性がない」「身勝手」などと陰口を言われ、非難されるのはまちがいない。そこから「非国民」と呼ばれるまではもうすぐだ。

    正直なところ、いますぐ「戦争」が起こるなどとはぼくは考えない。ただ、火のないところに煙は立たないというように、戦争が起こるにもそれなりの「下地」が必要であり、そういった「下地」に関してはいえば着々と醸成されつつあるのは間違いないように感じる。

    「多数決をとります!戦争をやりたいひと、手を挙げて!」なんていうふうに戦争は始まらない。戦争は気づかないところで始まり、気がついたときにはもう引き下がれないところまできているのである。

    いま、あらためて思い起こすと、母親の「ふつうのひとは戦争なんて望んでいなかったのに、気づいたら戦争が始まっていた。気づいたときにはもう反対なんてできなかった」という言葉はとてもリアルである。もし戦争を望まないのなら、そうした「下地」をつくらせないことがなにより大切であり、そのためにはなにか別のかたちを装ってなされる全体主義の「芽」を、見つけた端から摘み取っては捨て去らなければならない。そして、それはいましかやれないことである。