moiのブログ 日々のカフェ season3

東京・吉祥寺の北欧カフェ「moi」の店主によるブログです。基本情報は【about】をご覧ください。

07.08.2018

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 行くか行くまいか迷っていたところ、ありがたいことに招待券を頂いたので、東京都美術館ではじまったばかりの「藤田嗣治展」をさっそく観てきた。以下、おぼえがき。

 

ーーFoujitaのつくりかた

 藤田嗣治といえば、思いつくのはあの「乳白色」。今回の展覧会では、その乳白色に到達する以前の作品も多々出品されているので、そうした作品を時系列にながめてゆくことであの「乳白色」への道を辿ることができそうだ。とりわけ興味深かったのは、白と薄墨色で描かれたパリの冬の情景。そして、モディリアーニからのあからさまな影響。それらがシチューのように藤田の中でコトコト煮込まれることで、あのパリを魅了した乳白色の世界が誕生したのだ。1918年。

 

ーーセルフ・プロデュース感覚

 なにより藤田は自身のセルフ・プロデュースにたいへん長けたひとである。意識的に、パリでは「東洋人」としてふるまい、それに対して日本では「西洋人」のようにふるまうといった調子。サインひとつとっても、すでに渡仏前から「Foujita」とフランス語表記であるのに、渡仏後になるとさらに「嗣治」という漢字が添えられる。

 あと、これはまったく本人の感知するところではないにせよ、藤田が無類のネコ好きでネコをモチーフにたくさんの作品を遺しているという点も、ある意味ここ最近の日本人の嗜好をバッチリ押さえているといえ、やることなすことが憎らしいほど時代の流れをつかまえるという藤田の天賦の才を感じさせる。

 

ーー自分の作品を発見するナゾの能力

 展示されている絵のなかに、「数十年後、たまたまパリの古道具屋で本人がみつけ買い戻した」作品、さらに「南米を旅行中、たまたま本人がみつけて買い戻した」という作品があった。藤田、自分の作品をたまたま見つけがち。

 

ーーブラジルのフジタ

 今回の回顧展では、30年代初頭フランスを離れ日本に帰国する途中1年ほど滞在したブラジルで描かれた作品も多数展示されていた。いまも銀座にある教文館書店のビルには、かつてサンパウロ州政府が運営する「ブラジル珈琲陳列所」というカフェがあり、そこに藤田が手がけたブラジルのコーヒー園を描いた壁画があったことは知っていたが、あらためてそれが濃密なブラジル生活の賜物であったことがよくわかった。

 

ーーフジタと戦争画

 数年前、東京近代美術館で藤田嗣治が描いた戦争画の全作品が展示されたときにも観て、思ったことだが、戦意高揚というよりは「泰西名画」にしかみえない。

 

ーー枯れることをしらない晩年のフジタ

 70歳を前にして、藤田嗣治はフランスに帰化し「フランス人」になった。さらに、その後カトリックの洗礼を受けて「レオナール」と名乗るようになる。以後、パリ郊外のアトリエでフジタが熱中したのはいわゆる「宗教画」であった。今回、こうした宗教画をまとめて観ることができたのも貴重な体験だった。好きか嫌いかと言われればあまり好きではないのだが、70代の老人が描いたとは思えない細密な、体力と忍耐とを要するような作品ばかりで驚かされた。亡くなるまでエネルギーの塊のようなひとだったのだろう。したたかで豪胆という、ぼくの中の「フジタ像」がより補強された感じだ。なかでも異彩を放っていたのは、黒人の聖母像。モデルは、マルセル・カミュ監督の映画『黒いオルフェ』(1959年)でヒロインを演じたマルペッサ・ドーンがモデルとされる。神秘的な作品。

 

 それにしても、自分がいいと思った作品にかぎって展覧会の物販コーナーで売られているポストカードになっていないのはどういうわけか。5、6点あたまの中で思い描いて物販コーナーに向かうのだが、そのうちの1点もないといったことはザラである。今回はどうだったか。いいと思った作品の、横に並んでいた作品がポストカードになっていた。前後賞。