moiのブログ 日々のカフェ season3

東京・吉祥寺の北欧カフェ「moi」の店主によるブログです。基本情報は【about】をご覧ください。

04.07.2018

 ここ1週間ばかり、東京は看板が飛ばされやしないか心配になるような強い風が吹き荒れている。注意報が発令されるような強風が、こんな何日間もやまないなんて珍しいのではないだろうか。なんとなく気になるので書いておく。 

 ところで、きょうは無性においしいコーヒーが飲みたい気分だった。じゃあ自分で淹れれば? という声が聞こえてきそうだが、ちがうのだ。誰かが、自分のために、目の前で淹れてくれたコーヒーが飲みたいのだ。ワイン、紅茶、抹茶、バナナジュース、焼酎…… ひとくちに飲み物といってもいろいろだが、コーヒー、とりわけハンドドリップのコーヒーは他のどれよりも「手料理」に近いところがあるのではないか。おなじ豆をおなじ道具で淹れても、淹れるひとのちょっとした手クセのようなものが影響するのか不思議とみなちがう味になる。そしてそこが愉しい。そこが嬉しい。だから、どうせもてなしてもらうのならぼくはコーヒーでもてなされたい。

 獅子文六の娯楽小説『コーヒーと恋愛(可否道)』には、目分量で、傍目にはざっくりとしたやり方ながらどんな口うるさいひとも唸らせるうまいコーヒーを淹れる女主人公が登場する。ひとつ言えるのは、「そんなアホな」と頭ごなしに言うひとはたぶん一生ほんとうにおいしいコーヒーにはありつけないだろうということ。

 『三人噺 志ん生・馬生・志ん朝』という本を読んだ。ミルブックスのF社長(まあ、わざわざ隠すまでもなく藤原さんなんですけど)が、おもしろかったからと持ってきてくださったなかの一冊。著者の美濃部美津子は、昭和の名人古今亭志ん生の長女にして、先代の金原亭馬生古今亭志ん朝の実の姉にあたるひと。亡くなる間際、志ん生が身の回りの世話をしていた著者に対して、もし「志ん生」の名前を継がせるなら兄の馬生ではなく志ん朝にと言い残したといったエピソードなど、近親者ならではの貴重なエピソードにも豊富であっという間に読んでしまった。ちなみに、このエピソードについていえばなにも馬生が志ん朝よりも劣るといった意味ではなく、カラッと明るく華のある志ん朝の芸風のほうがより「志ん生」の名前にはふさわしいからという理由である。ぼくは、噺からやさしさがこぼれるような馬生の「笠碁」が大好きなのだが、幼い頃から病弱でおとなしく、やさしい子供だったというエピソードを知り、なるほどなあと納得した。

 それにしても、「なめくじ長屋」と呼ばれたちいさな家に志ん生と馬生、志ん朝の3人がいたということのスゴさをなんとか伝えたくていろいろ考えてはみたのだが、結果、ひとつのどんぶりにトンカツと天ぷらとうなぎの蒲焼がのっているような状態という胸焼けするような比喩しか思いつかなかったのでやめる。

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 あす7月5日(木)は、都合によりお持ち帰り分のフィンランドシナモンロールはお休みさせていただきます。なお、イートイン分はご用意ございますのでご利用ください。