moiのブログ 日々のカフェ season3

東京・吉祥寺の北欧カフェ「moi」の店主によるブログです。基本情報は【about】をご覧ください。

豆柴

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 そのお客様は、趣味のため休日ごとに旅に出ている。日本全国津々浦々、いや、ときには海外への遠征もある。それはそれで充実した毎日だが、ときどき、こんな生活を長く続けていてよいものか不安な気分に見舞われるという。じっさい、貯金も目に見えて減った。

 そこでそのお客様はかんがえた。そうだ、犬を飼おう。犬を飼ってしまえばそうそう長旅などできなくなる。結果、支出も抑えられるというわけだ。いわば「実力行使」である。

 どうせ飼うなら、そう、なにはともあれ「豆柴」だ。小型犬ならマンションずまいでもなんとかなるし、それになんといっても豆柴は愛くるしい。そうと決まれば、ペットショップに行かねばならない。じぶんの暮らしを立て直してくれるよきパートナーたる豆柴をみつけるのだ。

 ペットショップで、そのお客様の目に飛び込んできたのはまだ生後2、3ヶ月ほどの黒い豆柴の姿だった。黒いというのもちょっと珍しいし、聞くところでは黒い豆柴の性格は「甘えん坊」らしい。四六時中、こんなつぶらな瞳でじゃれつかれるのだ。旅行なんぞ行ってられるか。1人と1匹ではじまる新しい暮らし。そんなマンションの広告みたいなポエムが頭の中に浮かんだかどうかは知らないが、ふと気づけば、「この子しかいない」、そんな気分にさえなっていた。

 だが、無邪気な様子で遊ぶその豆柴のケージに掲げられた値札の数字を目にしたとたん、そのお客様は一気に現実に引き戻されてしまった。二度、三度と見直したので間違ってはいないと言うその豆柴のお値段は、「700,000円」だった。

 ところで話は変わるが、スタッフが実家で飼っているという「豆柴」は体重が12キロほどもあるらしい。ふつうは4キロから6キロくらいだというからかなり、というかハッキリ大きい。ブリーダーから豆柴と言われて買ったのだが、すくすく育って気づけばそんな大きさになっていたという。スタッフいわく、「大きな豆柴」。まるで意味がわからない。

 「それって返品できないの?」思わず訊きそうになったのだが、じつはたんにぼくが知らなかっただけで、じっさいには品種改良の末に小型化に成功した「豆柴」という犬種が存在するわけではなく、小柄な親同士をかけあわせることで意図的に小柄に生まれさせた柴犬を「豆柴」と呼んでいるだけなのだそうである。なので、この世界には、スタッフの実家の「豆柴」のような思いがけず成長してしまった「大きな豆柴」や、あるいは予想に反して小柄だった「小さなデカ柴」らがそこかしこにはいるのかもしれない。まあ、実際の話、家族の一員として愛情をもって接しているうち、もはや大柄だろうが小柄だろうがどうでもよい気分になってくるのではないか。

 さて、豆柴を飼うという野望をあっさり断念した例のお客様、その後どうなったのだろうと気になって尋ねてみた。

 「2月の終わりからアメリカに行ってきます!」なにかこう、憑き物がとれたような、晴れやかな笑顔だった。