moiのブログ 日々のカフェ season3

東京・吉祥寺の北欧カフェ「moi」の店主によるブログです。基本情報は【about】をご覧ください。

八王子で佐伯祐三の青空とコッペパンに出会う。

f:id:moicafe:20171031202521j:plain

なんとなく風邪気味で熱っぽくもあり迷いはしたのだけれど、朝、体温を測ったら35°Cだったので八王子まで行ってきた。はじめての八王子。古くから栄えた土地だけに、街のあちらこちらには商家や近代建築がまだ残っていて東京の真ん中とはひと味ちがう風情がある。

 

わざわざ八王子まで出向いた理由はというと、八王子の駅から歩いて12、3分の場所にある八王子市夢美術館で開催中の展覧会『昭和の洋画を切り拓いた若き情熱・1930年協會から獨立へ』がどうしても観たかったからである。こういう<地味なことこの上ない>企画は一期一会、観られるときに観ておかないと後々悔しい思いをすることになる。ところで、「八王子市夢美術館」をカタカナに直すと「エイトプリンスドリームミュージアム」となってサンリオっぽくなるね、どうでもいいけど。

 

展覧会は、わざわざ来た甲斐があったという<地味いい>内容で満足。くわしいことはここでは触れないけれど、「1930年協會」はもともと佐伯祐三、木下孝則、小島善太郎、里見勝蔵、それに前田寛治という五人の若い画家が自分たちの作品の発表の場として1926(大正5)年5月に結成した芸術団体であった。とくに決まった主義主張はなく、ただ1920年代の前半、いわゆる〝狂騒の20年代〟を芸術の都パリで修業したという一点でのみつながっている友愛的なグループだったという。その後、「獨立」へとつながるさまざまなドラマがあるのだが、面倒なので割愛する。ただ、名前に掲げた「1930年」に開催された第5回展をもって活動にピリオドが打たれたのは、偶然とはいえまるではじめから終幕を知っていたかのようなふしぎな気分を催させる。

 

さて、チラシ(画像↑)を手にとってみる。メインビジュアルに採用された作品はというと、佐伯祐三リュクサンブール公園」1927(昭和2)年。たしかに<地味いい>企画にはまさに似つかわしいとはいえ、アイキャッチ的な華やかさという点ではどうにもたよりない作品である。ところが、さすがというか、実物をこの目でみるとやはりとてもすばらしくいい絵なのだった。

 

まずひとつは、画面の構成がきっぱり無駄がなく気持ちのいいところ。絵の勉強をしたわけではないのでよくわからないが、要はこういうこと(↓)なのではないか。白線で強調したように、画面下に三角形があり、その頂点からタテに伸びてた線が画面を中央で左右に2分割している。舗道を散策する人びともまた、道の真ん中ではなく三角形のそれぞれの辺の上に置かれているため、こちらの目線は自然とそれぞれの線が交わる一点に収斂する。ただの風景画のようでいて、整然として理知的な印象をあたえるのはまったくこの周到な画面構成あってこそだろう。パリの公園に、まるで神社の参道のような静かで清らかな空気が漂う。

f:id:moicafe:20171031205819j:plain

そしてもうひとつ。佐伯祐三のパリといえば、ぼくの印象はとにかく<どんより曇った空>であった。そして、そのためいつもどこか暗く冷たい感じがある。ちなみに、ぼくはほぼ毎日夢を見るのだけれど、どういうわけか夢に登場する世界はいつもきまって佐伯の描くパリのように曇っている。我ながら、病んでいるなァ。

ところが、である。この「リュクサンブール公園」のパリはめずらしく青空が顔をのぞかせているのである。全体の印象はいつもの<佐伯風>なので、「わぁ、青空だァ」と驚いてしまった。とはいえ、そこは佐伯のこと全開の青空というわけにはいかない。それは、薄曇りの隙間に透けてみえる青空であり、さらにご丁寧にも黒々とした梢の切れ間に恥ずかしげに顔をのぞかせた青空である。ふだんあまり気持ちをおもてに出さないひとが、なにかの拍子にふともらした微笑みのようで、ぼくはきょうこの一枚の絵を観れたことでなんだかとてもうれしくなってしまったのだった。

 

帰り道、駅の近くになつかしいたたずまいのパン屋をみつけた。純喫茶もいいが、こういうレトロなパン屋を街の片隅にみつけるとついうれしくなって入ってしまう。「布屋パン店」というその店は、なんと大正11(1922)年ごろの創業だという。それはまさに、佐伯祐三ら1930年協會の面々がパリの空の下、若い情熱をカンバスにぶつけていたころである。そんな偶然もまたうれしく、バターとジャムを塗ったフカフカで素朴なコッペパンをおみやげに買う。

f:id:moicafe:20171031215430j:plain