moiのブログ 日々のカフェ season3

東京・吉祥寺の北欧カフェ「moi」の店主によるブログです。基本情報は【about】をご覧ください。

さくらさくら/もう一度タッチして下さい/あさきゆめみし

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◆さくらさくら

 人が人を呼ぶ。これは、お店をやっているとよくわかるが、ほんとうである。満席で、どこからどう見てもこれ以上は無理というようなときにかぎってお客様は次々とやってくるものだが、誰もいない店内で「さぁ、どんどん来てください!」とばかりに両手を広げて待ちかまえていると、いっこうにお客様はやってこない。興味ありそうに覗きこんでいるお客様までが踵を返して消えてしまう。コルコヴァードの丘に、ひとり立たされている気分になる。

 人を呼ぶための人を、業界では「サクラ」と呼ぶ。古来、桜の花がひとの目を、そして心を惹き付けてきたことからそう名付けられるようになったのではないかと思うが、ちゃんと語源を調べたわけではないので確かなことはわからない。以前、某ファストフードのチェーンが新業態の店舗のオープン初日にアルバイトの「サクラ」を雇い行列をつくらせ、結果消費者の不興を買ったことがあったが、最近の企業(やお店)の多くは、以前なら雑誌広告や新聞の折り込みチラシに投じていたようなお金をこうした「見えづらい広告」に費やすパターンがよく見受けられる。雑誌で、人気のタレントが旅をする特集記事が読んでいたら、最後にボンネットを開けてピカピカのエンジンルームを覗きこんで爽やかに微笑むタレントの写真が…… なんだ!クルマの広告かよ! あのパターンである。

 ところで、営業中かなりな頻度で電話がかかってくるのが「食◯ログの代理店」を名乗る者からである(それにしたって「食◯ログ」と「N◯T」は代理店多すぎだろ)。聞けば、お金を払うと「食◯ログ」の検索でヒットしやすくなったりするらしい。評価される側の資本が流れ込んだ時点で口コミサイトの意義なんてなくなってしまうのではないかとつい余計な心配のひとつもしたくなるが、グルメサイトだけに運営側もおいしい思いがしたい、まあ、そういうことなのだろう。

 

◆もう一度タッチして下さい

 乗り越しでもないのに、前の前の男が駅の自動改札で引っかかった。すでにピークを過ぎたとはいえ、まだまだ通勤通学の客も少なくない時間帯、あっという間に人がつかえてあふれだす。バツが悪いのだろう、男は「チッ」と舌打ちなどしていかにも不服そうだ。

 が、ちょっと待て。「チッ」と言いたいのはこちらである。オレはこの目でしっかり見たのだぞ、かざせば済むカードをわざわざバシッとパネルに叩きつけ、そのうえさらにズリズリと左右にこすりつけたアンタのその無粋きわまりない一連の動作を。あの「バシッ、ズリズリ」が本当に、生理的に苦手だ。無意識にこういう動作をするひとは、たぶん串カツ屋ではソースを二度漬け、三度漬けするし、他人の話を聞きながら「はいはいはいはい」と相槌を打っているにちがいないのである(かなり偏見入ってます、すみません)。あと同じくらい苦手なのは、周囲に大勢ひとがいるにもかかわらず、カサの真ん中あたりを掴んで水平に持ち歩いているひと。「オマエは武士か! チョンマゲ結ってやろうか!」と心の中で悪態をつかずにはいられない。悪態をつくだけなのは、たまたまポケットの中に「元結」の持ち合わせがないからにすぎない。

 とはいえ、じぶんの無意識の振る舞いの中にもきっとこういう「無神経さ」 がいろいろあるのだろうし、実際に気づいて直したこともある。いちばん恐ろしいのは、気づかず、しかも誰からも指摘されないことだと、こういう場面に遭遇するたびいつも思うのである。

 

あさきゆめみし

 夜半に、スタッフがインドで買ってきてくれたマサラティーを飲みながら読書する。至福のひととき。こういう時間をほんのわずかでも毎日持てているからこそ、たとえしんどいことがあっても日々なんとか踏ん張ることができている。

 「お金がないから」「時間がないから」…… 自分の生活に「欠けている」ものをあげつらうことはたやすい。が、それでは気が滅入る一方ではないか。本とおいしいお茶、そんなささやかな道具立てで生活をほんのすこし満たすことができるのなら、そんな時間がちょっとずつたくさんあったほうが上機嫌で日々過ごせるのではないだろうか。

 東京でなくてもかまわない、いつかどこか空気の澄んだ街のこじんまりとした図書館の片隅で、喫茶室など営んでみたいものだ。そんな話があれば、きっと本気で移住をかんがえてしまうだろう。公共の図書館が無理なら私設美術館の片隅とか、本屋さんでもいいかもしれない。そして、そんなフワフワしたことをかんがえながら、眠くなるのを待つのもまた愉快。