moiのブログ 日々のカフェ season3

東京・吉祥寺の北欧カフェ「moi」の店主によるブログです。基本情報は【about】をご覧ください。

林さんが選曲したバーで聴きたい音楽

 ポストをのぞいたら、bar bossaの林さんが選曲した、最近出たばかりのCDが投函されているのをみつけた。おなじく最近出たばかりの林さんの本『バーのマスターは、「おかわり」をすすめない』(DU BOOKS)の〝サントラ〟とのことである。林さん、いつもお気遣いありがとうございます。

 

 ところで、前々から、こと音楽の趣味にかんするかぎり、ぼくと林さんの好みとではずいぶん隔たりがあるように思ってきた。たとえて言えば、林さんはぼくよりも大さじ一杯分くらいロマンティックかつウェットである。あるいは、ぼくにとっての〝快適〟より、林さんのそれは平均して2℃から3℃くらい高い。

 今回、林さんが選曲したCD『Happiness Played in the Bar』(ユニバーサルミュージック)の曲目を眺めてみると、音楽について話しをするとき林さんの口からたびたび挙がるアルバムやアーティストがずらりと並んでいる。ブロッサム・ディアリーしかり、ヴィンス・ガラルディスヌーピーものしかり、バカラックしかり、ビル・エヴァンスの『フロム・レフト・トゥ・ライト』しかり……。予想に反して収録されていなかったのは、シンガーズ・アンリミテッド。もしかしたらレコード会社の絡みだろうか。

 そんななか、やはりこれは紛れもなく林さんの選曲だなと思わせるのはクラウス・オガーマンが編曲した楽曲がいくつか収められていることだ。なぜといえば、やっぱり林さんといえばオガーマンだから。そしてじつは、何を隠そう、ぼくはオガーマンのアレンジがあまり好きではない。

 とはいえ、ポール・デズモンドやカル・ジェイダーはぼくも大好きだし、とりわけゲイリー・マクファーランドが編曲した女流ジャズオルガニストシャーリー・スコットの曲が収録されているのもうれしい。全体の流れからすると〝破調〟ともいえる、「へぇ~ここでこんな選曲するんだ」と思わせるニック・デカロビーチボーイズも個人的に「まんまとしてやられた」感じだ。思っているほどには、林さんの嗜好とぼくのそれとの間に開きはないのかもしれない。これは、うれしい発見。

 

 はじめに書いたとおり、ぼくはこのCDを林さんから頂戴したのだが、いくら日頃から世話になっているとはいえ義理を感じて宣伝するというのではぼく自身の信条に反するし、おそらく林さんだってそんなことは望んでいないにちがいない。だから、聴いてもしピンとこなかったなら、とりあえずメールで直接感謝の意を伝えておしまいにしようと考えていた。ところが、意外にも(?)ここに選ばれている曲やアーティストはぼく自身選びそうなものばかりである上、そこに林さんらしい〝スパイス〟が振りかけられていて新鮮な驚きがあったのでこうしていまここで紹介させていただいている。

 

 ところで、このbar bossaではおなじみの音たちが並んだCDを聴いてまず思ったことは、林さんにとって「バー」とは好きな(かならずしも異性というわけではなく、気のおけない同性もふくむ)誰かといっしょに過ごす場所だということである。ひとりグラスを傾けながら耳をすますよりは、ここに聴かれる音楽は、会話の背景に適度な音量で流れ、ときには途切れた会話をそっと繋いでくれるようなものばかりと思うからだ。

 いま、ぼくはこのCDをひとりで、じぶんの部屋で聴いているのだが、なんだかとても人恋しくなってきてしまった。思わずバーにかけこみたい心境だ、下戸なのに。こうしてまた、今夜もbar bossaはにぎわっているにちがいない。

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【パブリシティ】雑誌「FUDGE」12月号

発売中の雑誌「FUDGE」12月号に当店がちらっと登場中しております。

北欧のおやつの時間がテーマの撮影でしたが、ぜひモデルさんの髪型に注目してみて下さい。写真だといまひとつわかりにくいですが、耳の横にくるくるっと髪の毛が渦を巻いているの気づかれましたか?

これ、ヘアメイクさん渾身の「シナモンロールヘア」なのです。ロングヘアーの方は真似してみてはいかがでしょう。そして、撮影終了とともに栗色のシナモンロールはあっという間にほどかれてしまったのでした……。

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ひとりの時間をためらわないで

 入ろうか、入るのやめようか、店先で思案している姿をよくみかける。はじめての店の敷居をまたぐのにはなかなかな勇気を必要とする。ひとりでは店に入ることができない。あるいは、なにをしていいか判らない、手持ち無沙汰、そんな声もよく耳にする。他人とひとつの空間をシェアすることが苦手というひともいるだろう。

 

 十五年ほど続けてきて思うことは、ほとんどの場合、そしてたいがいのひとは、この世界からカフェが消えてもさほど困らないということだ。じっさい、ネットでかんたんにおいしいコーヒー豆や紅茶をかんたんに手に入れることができるいま、自宅でお気に入りのインテリアに囲まれて楽しむお茶のひとときはじゅうぶん快適にちがいない。ただ、ひとつ言えるのは、自分の家は日々の暮らしの中心であって、そこにいるかぎりひとは日常の仕事や人間関係と必ずつねにつながっているということである。

 仕事や人間関係、日々の暮らしにつきまとう些事から自分を切り離すために、ひとはちょっとした〝舞台装置〟を必要とする。たとえば〝旅〟がそうだろう。旅とは、日々の暮らしから物理的に距離をとることで自分じしんを日常から切り離すための道具立てである。いっぽう、わざわざ旅をしなくても、自分なりの〝舞台装置〟をつかって同じような効果をうまく生み出している人たちもいる。

 

 これは、映画『かもめ食堂』でアソシエイト・プロデューサーを務めた森下圭子さんから伺ったエピソードなのだが、日本とフィンランド、それぞれからスタッフが参加した『かもめ食堂』の野外ロケのとき、ランチタイムになると日本人スタッフはみな1箇所に集まり輪になって食事をとる。ところが、フィンランド人のスタッフはというと、めいめい自分の食事を手にあちこち散らばってひとりで黙々と食事をしていたという。聞いたとき、フィンランド人=寡黙というパブリックイメージとあまりにも合致しすぎて爆笑せずにはいられなかったのだが、それはかならずしも彼らの寡黙さに起因しているわけでもないし、ましてや協調性がないとか、スタッフどうし仲が悪かったというわけでもないだろう。ただ、他人といっしょに仕事をするうえで、チームワーク同様、彼らにはこうした〝ひとりの時間〟がたいせつであり、映画のロケ現場にあってはそれが〝ランチタイム〟だったということだ。

 

 ところで、東日本大震災の後しばらく、ひとりで来店されるお客様が増えたことがあった。計画停電や続く余震のなかひとりで家にいるのが心細い、そんなふうに話してくれるお客様もいた。家でテレビを観ても、職場にいても、友達としゃべっていてもすべてが震災とそれにともなう原発事故への不安や恐怖につながってしまった当時の日常生活を思い返すとき、カフェという、日常から適度に隔離された空間で、あまりよく知らないひとが淹れてくれるコーヒーを飲む時間だけが、唯一そうした日常から離れることのできるおだやかな時間だったのではないか。なるほど、心がざわざわしたりささくれだったりするときほど、ひとはカフェを欲する。そんな気分を驚くほどに鎮めてくれる〝ひとりの時間〟を、わざわざカフェに出かけることは担保するからだ(*個人の感想であり、効果・効能を示すものではありません!?)。

 

 ひとは他人と、そしてそれがもたらす有害無害の情報とまったく関わらずに生きてゆくことはできない。だからこそ、ひとには意図的に日常から自分を切り離す〝ひとりの時間〟が必要だ。まあ、「宣伝」と思って聞いておいて欲しい。どうか、〝ひとりの時間〟をもつことをためらわないで。

【季節限定】ラム・バタースコッチ

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秋をスキップして、いきなり冬になってしまそうな今年。あわてて冬の空気に冷え切ったからだをあたためてくれるようなメニューをご用意しました。

 

ラム・バタースコッチ 770円

 

バターを浮かべた特製のカフェオレに、たっぷりラムを注いでお召し上がりください。ぽっかぽかに暖まりますよ。

 

じつはこのメニュー、ご存知のとおり以前にも冬の限定メニューとしてお出ししていたものですが、近年のバター不足にともないしばらく提供を中止しておりました。ひさびさの登場です。ひさびさすぎてレシピを忘れていたため(?)、新たにバランスなど一から見直してさらに美味しくなっています。

 

ぜひ(バターが入手できているうちに?)ご来店&お試しください!

【お知らせ】9/7(水)8(木)お休みいたします

体調をふたたび崩してしまい、通院等もあるため、急で申し訳ないですが9月7日(水)8日(木)は連休させていただきます。

 

ご迷惑をおかけいたしますが、何卒よろしくお願いいたします。なお、9月の【お誕生月割引】は10月の上旬まで延長させていただきますので、あわてずご利用いただければと思います。

 

 

池袋演芸場8月下席昼の部

ここ数ヶ月、私事でバタバタしていたせいでしばらく寄席からも遠ざかっていた。およそ7ヶ月ぶり。迷走する台風10号の進路に気をもみながらの池袋演芸場
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池袋演芸場 八月下席昼の部 千秋楽

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開口一番 小かじ「二人旅」
◎三遊亭わん丈「こじらせ親分」
林家たけ平「小田原相撲」
柳家さん助「汲み立て」
ホンキートンク 漫才
三遊亭金馬「蝦蟇の油」
◎古今亭菊志ん「酢豆腐

〜 お仲入り 〜

林家ひろ木「看板のピン」
◎宝井琴柳「安兵衛道場破り」
◎鏡味仙三郎社中 太神楽曲芸
柳家三三「三味線栗毛」


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開口一番は、三三師匠の弟子小かじさんで「二人旅」。線の細い師匠に対して、高校球児のようなバリバリ体育会系な風貌の小かじさん。なかなかメンタルも図太いところがあるのだろうか、途中、なぞかけのくだりでセリフが飛んでしまうアクシデントも、そつなく笑いにつなげてサゲまで。

二ツ目に昇進してまだ間もないわん丈さん。前座時代から注目していたひとりだが、二ツ目になってから聴くのは今日がはじめて。高座を下りてきて「兄さん、今日の高座には魔物がいます」と報告した小かじさんに、「お前だヨ!」。前座時代、すぐ上の先輩としていろいろ面倒を見た間柄ということでほのぼのとした幕開き。最近の学校では、アレルギー対策のための給食の「検食」が大変らしいというマクラから自作の「こじらせ親分」。「乙女趣味」な親分のお世話に四苦八苦するヤクザの組員が、不意の思いつきで「給食」を始めると言い出した親分に「検食」で対抗するお話。前半の「乙女趣味」、後半の「給食」とそれぞれに面白いのだけれど、ちょっとつなぎ目に唐突な印象も。「なんにでもすぐ影響されてしまう親分」というエピソードが前提にあると、より滑らかにつながるかなぁなどと考えたり。

ところで、ここでふと思ったのだが、きょうの番組、これはちょっと「男子校」っぽいかもしれないと。


たけ平師匠は「小田原相撲」。得意の地噺を「林家」の自虐ネタもまじえつつ自信たっぷりと、真打らしい余裕のある高座。本日の「学級委員」か。

さん助師匠も、真打昇進後、はじめて聴く。「怪しさ」にいっそう磨き(?)がかかったような。なんとなくどよめく場内…… マクラなしでいきなり「汲み立て」へ。「錦の袈裟」同様、与太郎がちょっとおいしい役どころの噺。「有象無象ーー」嬉々として叫ぶ与太郎に、口惜しがる町内の若い衆のコントラストが可笑しい。さらに、テレビカメラが切り替わるようなメリハリがあったらもっと面白くなるかも。

ここで ホンキートンクが登場。「男子校」っぽさは最高潮に?!

はじめて聴く当代の金馬師匠。御年87歳。おじいちゃんがニコニコ座布団に座っていれば、それだけでもうほっこりする。釈台を前に「なにもべつに受付しようってんじゃありません」。これはもう、間違いなく「校長先生」のギャグである。「蝦蟇の油」の酔っ払ってからの口上は、うん、やっぱり味があるなぁ。

菊志ん師匠は、そうなると、ひょうきんな社会科の先生だ。酢豆腐(や「ちりとてちん」)は、騙されて腐った豆腐を食べさせられる相手がとてもイヤな人物として描かれていないと、なんだかつい可哀想になってしまってあまり楽しめない。その点、菊志ん師匠の〝イケメン風〟若旦那にはイラっとさせられる。たとえて言えば、真っ黒に日焼けしてシャツの胸元が大きく開いているイメージ。思い出すだけで、あぁ、イラっとする。こうして、古典落語の世界は現代とぜんぜん地続きなのである。そして、最後まで怒り出すことなくたいらげてしまう若旦那スピリットに、「なんかこいつスゲェ」とかえって感心させられてしまうのもいつものこと。

仲入りを挟んで、ひろ木さん。初めて。師匠の影響なのか、ふわふわ様子が落ち着かない。おじいちゃんならともかく、若い噺家さんだと「大丈夫かな?」と余計な心配をしてしまう。ネタは、アンケートの結果を受けて「看板のピン」。あと、これはテレビなどで顔の売れたひとを師匠にもつ落語家に多いような気がするが、「◯◯の◯番目の弟子で〜〜と申します」と自己紹介するのがどうも個人的には苦手である。サラリーマンじゃないのだから、肩書きよりも実力で名前を印象づけて欲しいと思ってしまうのだ。

三三師匠の「ホットケーキフレンド」としてかつて某テレビ番組に登場したこともある、講談の琴柳先生。ここが男子校だったなら、さしづめベテランの国語の先生といったところ。初席で聴いたときは、時間も短く声も聞き取りづらかったのだが、今回はじっくり楽しめた。「安兵衛道場破り」。勢いで圧倒するのではなく、心地よい緊張感が持続する。


仙三郎社中の太神楽(若い仙成さんがを難易度の高い曲芸をさらっとやってのけてしまうので体育っぽい)に続いて、いよいよ三三師匠の登場。「三味線栗毛」。三三師匠がよくかけているのは知っていたけれど、ついに遭遇! 「三味線栗毛」好き(「錦木検校」ではなく)としては感無量。三三師匠の「錦木」は、御武家様の角三郎と気が合うくらいだからその人物にはいじけたところがまるでない。貧しく、目も不自由だが、それでいてさっぱりした気性の持ち主。そんな錦木も、角三郎が家督を継いだと聞き、万が一自分が「大名」になるようなことがあったら「検校」にしてやろうといういつかの口約束を思い出し、いてもたってもいられず病身を引きずって角三郎を訪ねてゆく。だが、いざ角三郎と面会した錦木は、角三郎の「約束を憶えているか?」という問いにぐっと言葉を呑み込み「憶えていません」と答える。なぜだろう? こうしてなるべくして大名になった角三郎、その立派な姿を前に気圧されたということもあるだろうし、なにより「口約束」を盾にとって成り上がろうとする自分のあさましい根性が恥ずかしくなったのではないか。しかし、その「高潔さ」が錦木と角三郎のあいだを身分を超越したフラットな関係に変え、また「検校」にふさわしい人格に持ち上げる。角三郎は言う。「俺は憶えているぞ」。最高の演出。そして、馬の名前をめぐって戯言を言い合うふたりは最上のファンタジーの世界に生きている。現実にはけっしてありえないヒューマニズムが、落語の世界にはこうしちゃんと息づいている。ぼくが落語を聴くのは、そこにすべての人間の生きるべき場所があるからだ。


柳家を中心に、三遊亭も林家も古今亭もいるにぎやかな男子校のような芝居だったが、最後はきっちり「担任」の先生が締めてくれた。一服の清涼剤のような「三味線栗毛」のハッピーエンディングはさながら台風一過の青空のようだなァと地下の演芸場を後にし表に出てみると…… あれ? どうしたことか、豪雨。

2016年8月30日